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ほわほわさん、ありがとう!

 投稿者:川井 浩  投稿日:2016年 2月23日(火)22時57分27秒
  新聞取っていないので、、、といういいわけはともかく、こんな写真がでるなんて! うれしいですねー。

僕はどの辺の列に立っていたのだったかは覚えてませんが、大きな入場ゲートをくぐると、天にそびえるように高い観客席が人で埋まり、オリンピック行進曲が流れ、その観客席からの怒涛のような拍手があり、身震いするほどの感動を覚えたことを今でも思い出します。 そして、行進を始めて、来賓席の前を通過する辺りでは、興奮の絶頂。

その前後のことはもう全く記憶から消えていますが、その行進のときの感動だけは鮮明に覚えています。

ただ、心のどこかで、この感動がその20年ほど前の明治神宮外苑競技場での学徒出陣式があったことと重なってしまうのです。
https://www.youtube.com/watch?v=cGDN8LBawoM

生まれたのが1927年でなくて、1947年でよかったなぁ、と思うわけです。

懐かしいわねー!

 投稿者:クール子  投稿日:2016年 2月23日(火)03時25分47秒
  こんな写真が残ってて今になって新聞に出るなんてちょっと感激。
私は行進してたのか座ってたのかも覚えてないのですが、参加した(させられた)のだけは確か。
遠足気分で楽しかったような気がするのですが、後はほとんど覚えてない、
私も写真をつくづく見てみましたが、この人あの人を想像してみましたが、
なんせ同期生の皆さんのほとんどは会う機会がないので、記憶はカスミがかかってます。

3月の同期会は皆さんに会えるちょうど良い機会なのですがで欠席させていただくので
(我が家の引っ越し、片づけがちょうとこのころになる)
皆さんのお顔の写真の中の確認と、今の比較はまたの機会を期待しましょう。
2020五輪あたりにまた同期会があるといいのかなとか・・・・。




 

五輪開会式のリハーサル写真

 投稿者:ほわほわ  投稿日:2016年 2月22日(月)21時33分43秒
  2月20日朝日新聞の夕刊の話は誰からも出ないのねぇ。
1964年のオリンピックの開会式のリハーサルで忍の生徒が日本選手団をやっているところが写真付きで載っています。
少し残念なのが、記事では、日本を担当したのが忍岡高校の1年生約350人となっているところ。2年生もやっていたはずだと思います。
私自身は観客の方だったので、選手団のどのあたりをだれがやっているかはわかりません。
でも、この人はあのひとではないかとか、想像しています。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12219757.html?iref=comtop_list_spo_f01

男性陣はほとんど見えないのが残念ですね。
 

必要性と楽しみ

 投稿者:川井 浩  投稿日:2016年 2月10日(水)23時22分30秒
  物にあふれている時代だけど、本当に必要なものはわずか。 それを知っていることは、物が少なくても幸せを感じることができることにつながり、必要性だけのものでは無いものを持つことは、それを持つことに喜びが見いだせるのであれば、それはそれで楽しみになる。
しかし、物を持つことだけに喜びを求めていけば、それはやがてむなしいことに気づくかもしれない。 吾唯知足という仏の教え、なんていう線香臭い言葉で締めくくるのも不本意ではありますが、まあ、そうかもね、と思う次第です。
ただ、所詮、なかなか仏の教えのようには生きられない煩悩の生身の人間としては、いらないものに囲まれて、死んだら、それはそれでオッケーということにして、悩むのはやめちゃいましょう。 吾唯不知足。 南無阿弥陀仏。 
 

記念切手も持ってるよー!

 投稿者:クール子  投稿日:2016年 2月10日(水)04時59分43秒
  記念切手も流行ってましたね。小市民の投資みたいに言われて時々買っていたみたいで、母親要らないから上げるというのを持ってきたのですが、まあどうしたもんかとどっかにしまってあります。

我が家では私が先に逝ってしまうとあとに残った亭主殿は何だかわからずに、ごみに入れて捨てるのではと思ったりするのですが・・・。
父親が集めた壺とかほんの少々の骨董品も、同じ羽目に会うのではと思って、言ってみているのですが、反応は今いち。
と言って私があとに残されても、子供いないし、(最近は子供さんも親の遺品にあまり関心なくて、ヤードセールで二束三文とかで売ったり、寄付しちゃったりがあるとのこと)、そう思うと、もう新しくものは買わない、処分の仕方を今から考えておかないとなんて考え始めて。
そうすると毎日あまり楽しくなくなるのよね。
これどうしたもんかねー。



 

記念切手

 投稿者:川井 浩  投稿日:2016年 2月 8日(月)23時34分34秒
  そういえば、昔、記念切手を買ってはためて、やがてこれが大変な価値になるらしいと思いこんでいたことを思い出しました。 まぁ、あと100年ぐらいたったら価値が生まれるかもしれないけど、今はおそらくその額面通りの価値しか無くて、インフレとともに実勢の価値は数分の一に下がっているに違いない。

最近オープンした近所のガソリンスタンドが、プリペイド・カーウォッシュ・カードを格安に販売しているというチラシがポストに入っていた。 以前にもそんなカードを買っては、全部使わないどころかほとんど使わないうちに期限切れになったり、紛失したりして、欲で買った割に、得をしたためしがない。

今日、福島県まで出張してランチを食べたレストランで、レシートとともに、次回は20%引きという券をくれたけど、わざわざそこに食べに行くことはまずないだろうし、行く時が来ても、おそらくそのカードは見つからないだろう。 見つかったとしても、期限切れだろう。

そういえば、3-4日前にいった立ち食いソバ屋でトッピング無料券をもらった。 エビ天、かき揚げ、コロッケ、わかめのどれかを無料でチョイスできる。 そのために、その蕎麦屋にいくことは、まず、無い、が、その券は大事に持っている。

この1000円硬貨。 使うには惜しいし、使わないのももったいない。 そのうち価値が上がるに違いないと思ったかどうかは定かではないが、この硬貨そのものには思い出は無い。 今時使おうと思っても、1000円の硬貨があったのだ、ということを知らない人の数のほうが多そうで、コンビニのバイトのレジの人とひと悶着ありそうな気がして、使おうという気がなえる。
結局、勝者は日銀と郵政省。

 

東京オリンピック千円コイン

 投稿者:クール子  投稿日:2016年 2月 8日(月)09時07分15秒
  私目もこのコイン持っているのですが、これって使えば千円の価値ですよね。
使わないで売るといくらになるのやら調べてみっか。
もう52年になるのだから少しは価値が上がっているのか。
考えてみると、こういう記念のお金は使えないし、
趣味の同好会かなにかの人と見せ合ってにやにやしたりということのためにあるんだろうか。
しかし懐かしいですね。
結構持ってる人多いのでは? 皆さんどうしているのでしょうか?
 

東京オリンピック記念コイン

 投稿者:川井浩  投稿日:2016年 2月 7日(日)18時51分17秒
  1000円コイン。 自販機では使えないと思うけど。 母のアパートを整理していた時に出てきたコイン。 1964年、昭和39年。 東京オリンピックを記念して発行された1000円コイン。

東京オリンピック開会式     (1964年)
https://www.youtube.com/watch?v=21ZG9oh7VX8

東京オリンピックで一番感動したのは予行演習の行進に参加したことでした。
 

寒い空っ風の中の凧揚げ

 投稿者:川井浩  投稿日:2016年 2月 7日(日)08時10分6秒
  というのが関東地上じゃ定番ですよね。 雪国じゃ、スキーか、かまくらか、別の楽しみがあると思いますけど。 街中では電信柱と電線が多くて、とても凧揚げは難しい。 学校の校庭とか、昔は結構空き地があったから下町でも凧揚げはできたけど、今じゃまず無理。

千葉県柏市といえども住宅地では難しく、近くの利根川のどてっぷちまで行ってやるのが凧揚げ大会というわけです。 餅つき大会もあったけど、昔は自宅で餅をつくことが方々であったけど、今じゃ、核家族、村の崩壊、せいぜい町内会の行事ということで残るだけ。 それも、こんかいの凧揚げ大会のときに同時に行われる餅つき大会も保健所の指導で認可が下りず、今回は取りやめとなってしまいました。

で、当日は、雨・雪の予想を覆す温暖な晴天で、無風の、絶好の日向ぼっこ日和。 凧揚げには最悪。 近所のごみ焼き場の煙突の休日の残り火の煙がうっすらと、でも、まっすぐに上がっている。 で、これが今年の町内会の最後の行事。 これで、なんとか任期を満了し、楽しいボランティア活動でしたが、解任してもらえるのも、うれしい。
 

必要なものはごくわずか。。。

 投稿者:川井浩  投稿日:2016年 2月 7日(日)07時55分8秒
  そうですね、わかっちゃいるけど、捨てられない。。。 なかなか捨てられないものですね。 家の中を見渡すだけでも、そうなのに、戸棚や引き出し、押し入れ、とりあえずしまったものがそのまま根雪のように溶けずにそのままたまっていく。

94歳になった母が年末に転んで骨折。 入院して手術して骨はつながったものの、ベッドに横になっているうちにみるみる減る筋肉や、もともと認知症も進行していたこともあり、そのまま介護施設に入所しました。 で、母が住んでいたアパートを引き払うことにして、僕の一番苦手な整理と掃除で暮れと正月は明け暮れましたが、やはり血筋というか、母も捨てられないタイプの人だったので、あれこれ大事にとってあるもので部屋といわず、押し入れといわず、どこもしまい込んだものであふれている。 整理するうちに、母との別れが迫っていることを実感して、思わず、整理する手が止まることがなんどかありました。 いつか子供の時に見たことのある母の古い衣装などを見ると、もう絶対に着ることはないことはわかっているのですが、それを捨てるのは、いやー、つらかった。 で、結局、自分でもそれをまた出して改めて見たりすることはないとわかっているのに、捨てずに、自分ように保存しようと、捨てずに家に持って帰ってしまいました。 それでも、のこりの山のような、古いけど、ほとんど袖を通したこともないような服も、ごみとして思い切って捨てました。

で、母といえば、施設に入り、お話相手ができて、結構楽しそうで、自分がここ10年近く自立して生活していたアパートのこともすでに記憶からは消えていて、施設の小さな戸棚の引き出しにやっと入る古い童謡の本を取り出して、車いす同士のほかのご老人たちと童謡を歌ったり、決してうまいとも言えないけど、すきなオカリナを吹いたりして、結構みなさんに褒められては、子供のころに音楽の時間には先生に褒められた、などと自慢話をしては悦に入ってる。 でも、最近どこに住んでいて、どんな生活をしていたか、何を持っていたかなどは全く、記憶からは消えている。 それをみて、躊躇しながら、幾度も捨てることに逡巡しながら整理していたことが取り越し苦労だったのだな、とあとから安堵しました。

で、必要なものはわずか、の話題に戻るのですが、今の母には、とくに自炊も、洗濯も、掃除もしなくてもいい介護施設だからということもありますが、必要なものは本当にごくわずかのようです。 あれだけ、ため込んで、整理できなかったものは一切不要なのです。 で、それらはおそらく、過去数十年間にわたって不要だったものだったのですね。

自分の家の中を改めて見回すまでもなく、捨てるものにあふれている。 いつかやろうと思いつつ、今日も、別にやることがあるので、また後回し。。。 これが続いて、そのうち最後は、だれかに整理してもらうことになりそうな、予感。。。